日記3[パフォーマンス・アート]

パフォーマンス・アートは、空間・時間・身体を元に「行為」をメインとするアート。
美術・視覚芸術の一分野であるが、絵画や彫刻等のような、物体が作品を構成する芸術とは異なったものである。

先日あるアーティストが、石をひとつ持って新宿3丁目の地下通路に立っていた。
その方のコメント

「目の前に鏡がありまして、その中の自分を見ていました。それから、一番、集中してリラックスできる立ち方をしておりました。」


私が現在取り組んでいる【ゼンタイウォーク】は、「行為」である。
そして、この“表現形態”でやってみたい事が沢山ある。

そのためにも先ずは、
  カタチを決める.
  的を絞る.
この点に着目し行動している。



これが私の求めるゼンタイの愉しみ方である。
たったこれだけのこと。





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◆パフォーマンス・アートとは、
現代美術の領域で生まれた表現形態。
従来の絵画・彫刻などといった作品概念を逸脱したところから誕生した表現領域で、他者と共有する空間・時間・場の現場性などをとりわけ重視します。現在、この表現領域は広く認知され、現代美術の一翼を担うものとなっています。また、パフォーマンス・アートは、美術のみならず、演劇・舞踊・文学・音楽・映像などの各芸術領域を横断し、またその境界領域として現代芸術の各領域のインターフェイス的な様相をも呈しています。
パフォーマンス・アートは、極めてナマな現場が重要となる表現領域であり、作品は(絵画や彫刻とは違って)アーティスト本人が不在では成立しません。したがって、アーティストの現場に立ち会うことは、稀有で貴重な刹那を共有することになります。近年、世界では多数の国際フェスティバルが盛んになり、アーティスト自らが、直接各国を横断し、ナマな現場を創造しています。









パフォーマンス Performance Art

アートの歴史において、この名称が自覚的に用いられ始めたのは、'60年代後半のアメリカである。コンセプチュアリズム、特に文字言語の観念性に対抗する形でボディ・アート、プロセス・アートなどとともに、'70年代になって一挙に活発化した。

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端的に言えば、「パフォーマンス・アート」とは、主に身体を介在させた「行為の芸術」といえる。ちなみに中国ではそのまま「行為芸術」(もともと芸術は和製漢語)と称し、アンダーグラウンドを含め盛んに行われている。

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現在、日本では「パフォーマンス」という言葉自体、日常的にあまりにも広範に用いられており、『パフォーマンスしている』という言い回しは、社会的にあまり良いイメージではないウソっぽいとか、見せかけだけといったようなで文脈で用いられがちなのが、誤解を招きやすくしている。

しかし、アートとしてのパフォーマンスは、この文脈からは全く隔たっていると言わなければならない。そこにはそれに関わるアーティストたちの切実なる思いが込められている。アーティスト自身がマテリアルになり、表現の主体になるということ。そして、どんな内容、メディア、素材でも自由に取り込んでしまえること。さらにどんな時間や場所も観客にも直截に関与できること。この独自の特性が、コマーシャリズムやマーケット、あるいは批評的権威などに安易に介入される余地を与えることなく、アーティストに本質的な自由を担保するのだ。

そのほか、ダンス、バレエ、舞踏などの舞台芸術(パフォーミング・アーツ)とも異なり、作者と観客の垣根がしばしば超えられたり、偶然の出来事なども取り込まれたり、その時代や社会の現実とダイレクトに関われるという特性も合わせ持つ。
つまり、「身体 - 物 - 空間 - 時間」の関係の中で、「行為」が重要なメディウムとなりながら、現実とフィクションの境界を自在に行き来する。それが可能なアートなのだ。




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